「ぬるっ」とした怪物

「ぬるっ」とした痛みに襲われた。悩みに悩んで、最後の一滴を入れられ、ざっと溢れ出すような。がつん!でもちくっ!でもない、夏の日の公園の水のような、気持ち悪いんだけど、なぜか安心する感覚。

自分のとってそういう痛みは、見逃しちゃダメな瞬間であって、捕まえないと彼方に消えちゃうようなもので。ただ、ちゃんと捕まえると、ずっと味方になってくれる。そういう大事な痛み。だから、思いがけずキーを叩いてる次第。

9ヶ月、何百人の人生に向き合ってきた。学生ができる人生のアドバイスなんてどんなもんじゃい!と大人な人たちは言うけれど、それなりに精一杯向き合ってきたつもり。そして、今になって思うのは他人の人生を考える中で、同時に自分の人生も旅してたんだな、ということ。知らず知らず。投げかけた無数の質問は鏡になって、そのまま自分に返ってくる。「で、結局なにしたいの?」と問いかける。相手が窮する一瞬の間に「自分は結局なにしたいんだろう」と考えていた。本当に育てられていたのは、他ならぬ自分だったと思う。

先日あるインタビューを受けた。もやもやしてる傷口にすごく染みる内容で、自分に嘘をついているようで、どうしても公開できなかった。

>>>なぜクックパッドを入社先に選ばれたのですか?

選んだというか選んで頂いたと言った方が正しいので、その上でお話します。僕は根本の概念を考えることが好きです。「美」、「健康」、それこそ「食」とか。とは何か?と聞かれて、すぐに答えられないようなものです。その中でも一番好きなのが「認識」です。人って生き物が不思議でたまらない。単純な興味から「人ってどういう風に何かを認識してるんだろう」と考えるようになりました。巷に溢れる全てのものも、誰かにとってこうあって欲しい、と誰かが願ったはずのもので。そう考えると、世の中全てが意思を持った人間的なもののように自分が「認識」するようになりました。そういう頭の中の「認識」が具体的なカタチとして外部に表現されるのが、個人の「意思決定」です。そして、この「意思決定」に仕事として関わることに非常に心惹かれるようになりました。完全に好奇心ですね。とはいえ、個人の意思決定は無数にあります。朝起きる、歯を磨くとか。その中で人間を形成している根本に近い意思決定は何かと考えたときに「食」というのは大きいな、と。1日3回、食事の意思決定を振り返ると膨大な量になります。で、その意思決定が育ち方、考え方、ライフスタイルなどの大部分を作っている可能性が高い。食は一つの例ですが、そういう根本的な問いかけを感じるweb系の企業って僕の知る限りではあまり多くはありませんでした。そういう意味でCOOKPADは興味深い存在だと感じました。クックパッドは意思決定のインフラを作るとよく言っているんですけど、それが押し付けじゃない感じが好きですね。クックパッド的に絶対にこうすべきだ!というメッセージがない。押し付けずに「選択してくださいね」という本当の意味でユーザーへの判断軸を与えているカルチャーを感じたんです。「ユーザーのためにできることは何だろう」というのを本気で考えている空気感というか。ものづくりとして、その文化が好きだなと直感的に感じましたさらに会社のフェーズとして食のインフラを世界に広げていくことはもちろんあるんですけど、食周辺の「暮らし」領域にまで広げていっていて新規事業をガンガンやっています。COOKPADって本当に洗練されたスマートなサービスだと思うので、それに並ぶようなサービスをCOOKPADの哲学をもとに作ってみたいという思いがありますね。

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嘘はついてない。ただ「何言ってんだおれは」と思った瞬間、「ぬるっ」とした痛みに襲われた。その痛みが気になって、内々でやってた塩見塾の毎日のコラムも三週間とまっている(メンバーの皆ごめんね)。調子の上がらない三週間を過ごした。死んだように卓球をした。そしてやっと、隠してきたその痛みの輪郭が掴めてきた。

よく会社を決める瞬間のメカニズムの話をする。内定者に聞くと「最後は直感で決めました」って言うし「決めた理由は3点ありまして」なんて嘘くさくて見てらんない。ぼくとしても、最後は直感、というのが正しいと思う。ただ、それにはメカニズムがあって、直感が働く条件を満たす必要がある。その説明にこういう喩えをする。言わば直感の箱のようなものが各々の人にはある。そして、それに色々な要素を入れていって箱がいっぱいになる瞬間が訪れる。そして、表面張力でぎりぎりを保っていた直感の箱に、何か一滴が加わって、溢れだし「!」となる。この「!」が直感が働く瞬間。だから「!」となるまで、箱の中に色んなカタチの色んな大きさの要素を入れないとだめ。その丸かったり星だったりするカタチの要素を探して、捨てて、集めていくのが就職活動で、いつか箱がいっぱいになるから諦めずに頑張ろうね、という何ともファンシーな話をしている。そして結局は「!」となった箱を上から眺めて、一番大きな要素を3つ取り出し「3点ありまして」と言うのだろう。

就活支援は自分の直感の箱を上から眺める営み。もう何百回も聞かれた。「なんでCOOKPAD」なんですか、って。正直「知らねえよ」と思う。だって、箱の中には無数の要素があって、全部伝えたいけど、全部はわかんないから。ただそんなことも言えないので、それらしいことを頭で一生懸命に探す。そのたびに立派な像を作り上げていく。どんどん膨らんでいって、自分の掌におさまらないサイズのそれになっていまっては、もう手の施しようがない。だって、自分の想像を超えてるから。これが「ぬるっ」とした痛みの正体。

ここに大きなキャリア選択の罠が眠っていると考えるようになった。人は過去をうまく説明できる構造をしている。ある事象Aを未来のある時点Bからは様々に意味づけることができる。「過去は変えられる」ってやつ。でも、事象Aが起こる前のある時点Cからは、Aを予測することは絶対にできない。「未来は誰にもわからない」ってやつ。このAを巡る本質的な意識の乖離がキャリア選択の大きな罠になっている。不確実な中での選択をあたかも意味のあることのように作り変える。自己肯定を重ねる。そのたびにAを膨らませていく。そのAの大きさとCから見たAの大きさの乖離が「ぬるっ」とした痛みの大きさの正体、なのだろう。

自分は世界平和を歌うような大それた人間じゃない。誰かのために生きたいと口では言ってるけど、たぶんそんなできた人間じゃない。素直で愛情深くて自信があって、献身的で温かくて理解がある、ユーモアを忘れたくなくてかっこいいことが大好き。そういう普通の22歳でしかない。

もっと、ちょっとキザな生き方をしてみようと思う。

「ぬるっ」とした痛み記念に。