あるべき「正常」ってなんだ:エンカレッジの話

みんなが望んだ未来は、いつかの今になる。望めば望むほど、未来の解像度は鮮明になり、くっきりと時代の雰囲気を作っていく、今になる。そしていつかあれほど望んだはずの今に生きる人々は、またどこかの今を描き、息をする、生きる。そうして社会は中肉中背のラインを境に、振り子のように行ったり来たりを繰り返してきたように感じます。果てしない満足を追い求めるようにして。

隣の芝は青く見える。素晴らしく人間の本質を表したフレーズだと思います。全体観で見れば、人類は前に進んでいるように見える。ただ局所的には、ある今が実現すると、それに反対する未来が望まれる、いびつな構造。未来がいつかの今になると、やっと陰と陽が揃ったように、次のパラダイムへと進む。その陰と陽のセットが蓄積され、時代の「正常」である中肉中背のラインが徐々に蓄積されていく。個人の人生も同じ。野球やってみて、チームプレイ苦手だなと思って、個人競技の水泳やってみて、やっぱりおもしろくなくて。そもそもスポーツが好きじゃないなと思って、絵を描きだして。こうやって、陰と陽を振り子のように行ったり来たりして、個人の価値観の「正常」が作られていくのだと思います。

時代や個人の「正常」は意識的であるかは別にして必ず存在しています。ただその存在の仕方は、誰の目から見ても明らかにくっきりと、同じ模様に見える類のものじゃない。誰かがこうじゃない?と光を当て始めて、ぼんやり浮かび上がり、それが時代の最大公約数をとらえた時に、それが「正常」と後から呼ばれる。そういったものです。だから、時代の「正常」のマインドシェアを奪い合うのが企業活動の一側面であるとも言えます。かく言う、私達エンカレッジも新卒採用領域とキャリア教育領域において、自分たちの思う「正常」を目指して存在しているわけです。

インターネットもリクナビもなかった時代の個人のキャリア選択を想像してみます。そこでは農家の子供は農家、漁師の子供は漁師、銀行マンの子供は銀行マン。個人のキャリア選択は、全体としては親族とその周囲の輪の中で閉じられていた。「閉じられている」という陰の後は「開かれている」という陽の時代。個人のキャリア選択の可能性を拡大するべく、紙面という限界あるまとまりに選択肢が集まる時代が目指される。そこでは選択肢を紹介するという論理と、それを広く行き渡らせるという論理に物理的限界が存在する。だから「開かれている」という流れを継承するなら、この物理的限界を如何に突破するかという話になる。そこでインターネット。物理的限界を排して、クラウド上のプラットフォームに、マッチング数を最大化する仕組みが登場した。リクナビ。そして、もっと効率的に最適なマッチングの実現がリコメンドの精度が上がることで実現されつつある。そしてこの流れは加速する。常時接続する世界ではもっとくっきりと個人の指向性がタグ付けされ、リコメンドの精度は上がり、もっと効率的な最適な世界が実現する。行き着く先はサイコパス(アニメ)みたいな世界かもしれない。

環境が認識を、認識が行動を規定するなら、プラットフォームが大きくなるにつれて、困ったことが起こる。もともとは個人の選択肢を拡大するために始まったムーブメントが、逆に個人の選択肢を均質化する世界を作ってしまうのである。プラットフォームが大きくなると、人はそこに集まり、同じものを目にする、皆がそれを口にする、皆がそれを目指すようになる。特に同調圧力が強い国民性にあっては、その傾向は顕著。みんなが成長を求め、ロジカルであろうとする。就職活動を通じて、こういう時代の空気が作りだした、マリオネットのような存在に非常に強い違和感を覚えた。エンカレッジが存在理由はその違和感に自分たちの「正常」を世に問う器として存在し続けること。そうした効率化・最適化至上主義の今に、自分たちの思う「正常」をぶつけていくこと。その為のアイデア「間違いを起こすことこそが人間の価値」だというアングル。

当たり前である状態が価値として再認識されることがある。日本には日本人を1億人抱えているという価値があるし、京都にはそもそも継続しているという価値がある。効率化が支配していく時代においては、間違いを起こすという人間の特徴に大きな価値が求められる、と私たちは信じている。特に人と人の偶然が大きなうねりとなる採用活動においては。人らしい営みに色のない存在はいくら頑張ろうとも介入できない。少しは実現したとしても、すぐに揺れ戻しが起こる。人と人の間に、人が介在する価値を追求してきたのが、この二年間のエンカレッジであり、それが採用活動のAs it is だと、「正常」だと、信じている。

年の瀬に今年を振り返ると、その轍は確かに存在していた。
二年前、一人の小さな思いから始まったムーブメントは、設立二年目にして、全国で1500人もの繋がりを生んだ。今年卒業する人も合わせると、2000人の人がエンカレッジを育て、継続させてくれた。これには本当に感謝しかない。三年目は、今まで支えてくれた人たちの思いも抱えて、自分たちが思う「正常」を世に問う段階に来ている。やっと、実現したい世界観で勝負する基盤ができた。小さな革命の種火は確実に、色んな思いを添えて、大きくなっている。自分の役割は組織の思想を作り、未来を作り、誰かの心に火をつけることだ。だから、アイデアに切り口を加えて、新しいエンカレッジを作っていく仲間を、誠実に丁寧に探していきたい。京都ではじまったエンカレッジには「続いていく」文化が必要だ。そして、新しい切り口で仕掛けていく人間が必要だ。

絶対におもしろくなるし、おもしろくする。